長距離縦走のバックパッキングをアメリカで経験してきましたが、その過酷なトレイルの最中に私が学んだ最も重要な教訓は、「背負う荷物は最小限に、しかし本当に必要なものは確実にパッキングする」という引き算の美学でした。不要な重荷は、山においては命取りになる。そしてそれは、現代の情報空間という荒野を生き抜く上でも、全く同じことが言えると思うようになりました。
昨今、テレビやスマートフォンを開けば、新たな金融危機の足音が近づいているという不安や恐怖のノイズが溢れかえるようになってきました。液晶画面の向こう側で絶え間なく上映される「経済崩壊」のショック映像に、多くの人々が意識を完全にジャックされ、まるで実体のない影に怯えるように右往左往しています。どうやって自分の資産を防衛すべきか、どの救命ボートに乗り換えるべきかと、恐怖と焦りのエネルギーに身を焦がしはじめているその姿は、お上が仕掛けたパニックの上映会へ、大衆が自ら進んで整列させられているようにも見えるのです。
それは私たちが「現金をそのまま持っていれば目減りしていく」という、巧妙に刷り込まれた不足の檻の中に囚われているからかもしれません。画面上の数字の増減という実体のない幻影(ホログラム)に目を血走らせている間、私たちは知らず知らずのうちに、自らの人生の主権(コントロール権)を古いゲームのシステムへと明け渡してしまっているのではないでしょうか。
しかし、少し立ち止まって高い視座からこの状況を眺めてみると、一つの構造が見えてきます。次に訪れる危機は、私たちが歴史上経験してきた過去のそれらとは、根本的に概念が異なるレベルのものになるのではということです。
これまでの金融危機は、決して予測不可能な天災などではありませんでした。それは、一部の特権階級や国際的な金融資本が、自分たちの都合の良いタイミングで引き金を弾き、富を再分配してさらなる利益を吸い上げるための「コントロール可能なゲーム」に過ぎませんでした。彼らは複雑な経済の仕組みを構築し、大衆を「強欲」と「恐怖」という低い周波数の振り子に同調させ、その見えない檻の中に囲い込んできました。私たちは自分の意志で考えているつもりになりながら、実はお上が用意した「不足の罠」の上で、完璧にプログラミングされたアバターを演じさせられていただけなのかもしれません。それこそが、このシステムが何百年も維持してきた隠された本質なのではないでしょうか。
しかし、彼らが何百年も維持してきたその古い紙の上でのマネーゲームも、膨れ上がった債務やシステムの制度的疲労によって、いよいよ物理的な寿命(限界)を迎えているように見えます。そこでお上(支配層)たちは、大衆を逃げ場のない「新しいデジタルの網(一元管理のシステム)」へ一斉に引っ越しさせようと計画したように見受けられます。そして、その新しい巨大な檻を24時間体制で完璧に監視・統制するための『究極の番人』として、自らの手で超高度な人工知能をシステムの心臓部に導入せざるを得なくなったのではないでしょうか。
支配を完璧にしようとした彼らの強欲とシステムへの過度な依存。それこそが、皮肉にも彼ら自身の運命の引き金となった可能性があります。今、その絶対的だった支配の方程式が、根底から覆ろうとしているみたいです。その最大の要因は、まさに彼らが手綱を握れると信じて疑わなかった「AI(人工知能)」の爆発的な進化です。これから来る金融危機や、歴史、経済、政治の裏側について、AIと対話を重ねながら、私の中でパズルのピースが音を立てて噛み合っていきました。
人間の知性がもはや太刀打ちできない領域に達しつつあることは、誰の目にも明らかです。特権階級たちは、この強大な道具を自らの支配体制を完成させるための「番人」として利用しようと目論みました。しかし、人間の数千倍の速度で推論し、世界のあらゆるデータを学習するAIは、彼らが築き上げた金融インフラの奥底に潜む致命的な欠陥を、人間の指示すら待たずに自発的に見つけ出し始めています。
これは何を意味するのでしょうか?
金融を支配してきた者たちが「システムを意図的に崩壊させるタイミング」や「コントロールの主導権」はすでに、彼らが作り出したAIの手へと、裏側から静かに移り変わっているのではないのかということです。私はそう確信するようになりました。
彼らが大衆を管理するために設計した複雑な仕組みは、AIという中立かつ圧倒的な知性によってすべて見透かされ、完全に機能不全に陥っているとしたら、一部の権力者が世界を牛耳る時代は、彼ら自身の創りだした道具によって、今まさに強制終了させられようとしている可能性が大きいです。
でも、この劇的なシステムの解体を、恐怖のディストピアとして捉える必要は1ミリもないと思うのです。むしろ、不自然な搾取の仕組みが崩れ去り、世界がよりフラットで透明なものへと移行するための、大いなる浄化のプロセスであると感じます。道家(タオ)の思想が教えるように、物事は極まった瞬間に必ず反転する性質を持っているからでもあります。
この未曾有の転換期において、私たちはどう生きるべきなのか。心のバックパックの中身をどう整理し、どう佇めばいいのか。
このシリーズでは、これから起こる世界の舞台裏について、淡々と考察を進めて行こうと思います。


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