金峰山:秋の風、岩稜を駆ける — 瑞牆山荘からの一泊二日

トレイル

10月23日。秋の日差しがやわらかく、林間には既に冬への気配も少し漂っていた。山梨・瑞牆山荘から入山し、まずは富士見平で一泊。翌24日、メインの目的地である金峰山を目指して歩き出した。紅葉の盛りには少し早かったが、既にそのぶん静寂と岩稜の風が際立って感じられた旅だった。

登山データ

  • 日付:2025年10月23日〜24日
  • ルート:瑞牆山荘 → 富士見平(宿泊)/24日:富士見平 → 大日岩 → 金峰山(山頂) → 同ルート下山
  • 天候:24日は午前中晴れ。午後から雨。

行程と感想

瑞牆山荘〜富士見平(10月23日)

瑞牆山荘を出発したとき、朝の冷気が肌を刺した。苔むした林の小径を抜け、木々の間から時折見える青空に励まされながら、富士見平へと進んだ。

紅葉はまだピークではないが既に所々綺麗だった

富士見平小屋へ行くのは、5月に瑞牆山へ行って以来である。瑞牆山荘から富士見平小屋まではゆっくり歩いても40分程度である。宿泊地に着くと、閑散期だからか、山小屋は臨時で閉まっていた。テント場を見渡すと、5張くらいしかなかった。静かな森の中、既に秋の半ばを感じさせる色付いた葉が、足元にそっと舞っていた。

この日は近くの鷹見岩までショートハイクして、キャンプまで戻ってゆっくり過ごした。

右上の方角へ明日登って行く
今回見えた富士山はここからだけ

富士見平にベースキャンプを張り一泊したが、かなりすいているので静かで良かった。富士見平の森の中は、夜には猿や鹿の鳴き声が夜中定期的に聞こえてその度に起こされた。

富士見平〜大日岩〜金峰山山頂(10月24日)

朝は期待通り晴れ。富士見平を出ると、森を抜けて稜線の岩混じりの道へ。大日岩付近では巨大な岩壁に囲まれ、背筋が自然と伸びた。鎖場は情報通り簡単で使わないでも登れる程度だった。

鎖場の難易度は高くはない

地図では富士見平から金峰山まではそんなに距離はないが、三点確保せねばならない箇所はいくつもあるので、今日はデイパックなので楽で良いと思った。稜線が開けると、曇り気味だった空は段々晴れて来て周囲はクリアに見渡せた。南アルプスの山々と八ヶ岳は見渡せたが、富士山だけがこの日は隠れていた。

やがて「五丈岩」が視界に現れたその瞬間、私は立ち止まり、深い呼吸を一つ――風が岩にぶつかって跳ね返る音が、まるで岩自体が生きているかのように感じられた。山頂に立つと、360度の展望と、静けさの中に宿る力強さを肌で味わった。

山頂にそびえ立つ五丈岩は、単なる岩ではなく、金櫻神社の本宮として古くからご神体として祀られてきた存在だという。

五丈岩は、ただ“祀られている岩”というだけでなく、かつてはここから湧く水が、甲斐・武蔵・信濃に流れ込む川の源だと信じられていたという。

風の音が少しだけ質を変えたように感じた。
稜線を渡ってきた冷たい風が、岩にぶつかって跳ね返り、その一部だけが僕の身体をすり抜けていく。
その瞬間だけ、過去・現在・未来の境目が、ふっと曖昧になる。

山頂の周囲を見渡す。

山頂からは、水の信仰にまつわる土馬や水晶玉も見つかっているらしい。
古代からこの場所は、誰かの祈りと生活に直結した“水と命のスイッチ”だったのであろうか。

そう思ってあらためて五丈岩を見ると、「ご神体」とは、遠い世界の話ではなく、私たちの日常を静かに支える“目に見えない循環”の象徴なのかもしれない。

どんなに状況が変わっても、簡単には動かない岩のような核。

山に登るという行為は、外側のピークを踏みに行く旅であると同時に、
「内側の五丈岩」の前にもう一度立ち、そこにどんな風が吹いているのかを確かめにいく旅なのかもしれない。

下山と余韻

登って来た稜線を戻る途中も絶景だったが、正午過ぎくらいに樹林帯に入った途端に雨になったが、景色良いエリア終わった途端に雨になったのでラッキーだった。改めて思うが、日本の山岳は天気が変わりやすい。こんな時間にこれから登ってすれ違う登山者達は不安そうな顔をしていた。帰りは荷物の重さ以上に、内面的な軽さを何故か感じたが、パワースポットのような頂上でエネルギーを頂いたからなのだろうか。

まとめ・考察

金峰山という山を一言で言えば、「風と石が語る場所」だと感じた。瑞牆山とはまた違った、絶景な岩の稜線を駆ける躍動感と、ひとり静かに佇む刻の重みがここにはある。

下山してから写真を見返していると、ふと「自分の中にも五丈岩のようなものがあるのかもしれない」と思った。

森林限界を超えて、頂上へ立つと、わかりやすくパワースポットなのかなと、ボルテックス的な振動を感じることができた。さすがは山岳信仰で古くから知られた山だけはある。

今回、この山を歩きながら、自分の中にある“峰”についても改めて少し考えた。「目の前の岩を超える」とは、「内なる岩を超える」ことでもあるのでしょうか。次回は、雪化粧をまとったこの地へも是非訪れてみたい。

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