瑞牆山:アメリカから帰国して初めてのテント泊は、「岩の聖域」だった

トレイル

はじめに──日本に帰ってきて、最初のテント泊

この山行は、5月の後半。
新緑がちょうど濃くなりはじめた頃、久しぶりにテント伯装備をザックに詰め込んで、瑞牆山へ向かった。この山行は、アメリカから日本へ帰国して、最初のテント泊となった。日本の山小屋というのは泊まった経験がなかったが、テント伯するには山小屋に隣接してせねばならないということで、富士見平に2泊して、瑞牆山へ登る計画を立てた。


瑞牆山という山──岩の迷宮であり、信仰の山でもある

瑞牆山(2,230m)は、奥秩父の西端に位置する岩峰の山だ。
金峰山と並んで、その山容を甲府盆地からもよく望むことができる。

金峰山の象徴が、山頂に鎮座するご神体のような「五丈岩」だとしたら、
瑞牆山は山全体が岩の神殿のような印象だ。山腹から山頂まで、奇妙な形をした花崗岩の岩塔や巨岩が林立し、「どこまで行っても岩、岩、岩」という世界が続く。

少し調べてみると、瑞牆山もまた古くから信仰の山として扱われてきたという。
修験道の行者が金峰山とあわせて修行の場としていたり、甲府盆地から拝する山として崇められていたり──日本の山にはよくある話ではあるのだけれど、瑞牆山の場合は、特に**「岩=ご神体」感**が強い。

アメリカの広大なマウンテンレンジでバックパッキングに慣れ親しんできた自分にとっても、この「古くからの信仰を背負った山」というのは新鮮で、どこか懐かしいような、不思議な感覚を抱かせるのだった。


1日目:富士見平へ──テントを張るだけで、もう半分は旅が終わっている

瑞牆山荘から、静かな森の中へ

スタート地点は瑞牆山荘。
ここから富士見平までは、5月後半のこの日は、新緑がしっとりと濡れたような深い緑になりつつあるタイミングであるようだった。

背中には、久々のテント伯装備を背負っている。
去年10月にシエラで1週間のバックパッキングをして以来だが、富士見平小屋までは地図上ではどんなにゆっくり歩いても1時間以内に着く距離だったので、今回の旅はバックパッキングというよりデイハイクがメインになるので楽になると思われた。肩の鍵盤断裂とすべり症と診断された腰痛のリハビリもかねて丁度良いとも思った。とはいえ、重さそものにはそれほど驚かなかったけれど、**「ああ、この感じだ」**という懐かしさが、歩きはじめてすぐに込み上げてきた。

富士見平キャンプ場──日本でのテント暮らし再開の場所

森の中を黙々と歩いていくと、やがて富士見平小屋に到着した。小屋とテント場、水場とトイレが見える。平日なためか予想通りすいていたが、テント数は7張程度しか見えなかった。

テントを張る場所を選び、ザックを下ろし、ペグを打ち、ポールを立てる。
テント泊って、ただの宿泊スタイルじゃなくて、生き方そのもののモードを切り替えるスイッチみたいなところがある。

富士見平小屋は、何の変哲もない樹林帯の中にある山小屋とテント場だった。この日はすいていたから良いが、混雑する週末などは、100張近くも密集するそうだ。日本の山小屋各地の混雑の様子は雑誌やYoutube等で見てはいたが、アメリカで無人の設備も何もない山中にテント伯しかしたことのない私にとっては、日本の山小屋文化というのは新鮮に感じた。

広大なシエラの湖畔に張ったときの冷たい空気や、ロッキーの高地で、風を避けて岩陰にテントを寄せた夜や、ジョンミューアトレイルで張った無数のテント場の風景が、頭の中で一瞬だけ重なったが、改めて、今はついに日本の山にいるのだと実感した。

この日はあとは近隣を適当に探索して、キャンプでだらだらすることにした。ゆっくりお湯を沸かし、コーヒーを飲み、行動食をつまみながら、明日の瑞牆山の山頂をイメージした。今回の山行は富士見平から瑞牆山へ行くだけなのに、2泊3日のゆったりプランにしたので、ロングトレイル系のバックパッキングには普通は持って行くことはなくなったスキットルにウイスキーなども持って来た。行程の短いテント伯は久しぶりだが、こういうのもたまには良いと思った。


2日目:巨岩の回廊を抜けて、瑞牆山の頂へ

森歩きから「岩の世界」へ

翌朝、まだ空気に少し冷たさが残る時間にテントを出て、軽装で山頂を目指す。
富士見平から先は、一度沢へと下り、そこから瑞牆山へ向かって登り返していくルートだ。

最初は静かな森歩き。しかし標高を上げていくにつれ、足元にゴロゴロとした岩が増え、視線の先にも奇妙な形をした岩塔が姿を現しはじめる。

「森の山」から、少しずつ「岩の山」に変わっていくその過程が、歩いていて楽しい。
気づけば、自分の視線は足元の登山道よりも、左右に立ち上がる岩壁や遠くに見える巨岩に向かっていた。

大ヤスリ岩と、無言になる瞬間

やがて現れるのが、大ヤスリ岩をはじめとした巨大な岩塔たちだ。
それまで普通に話していた登山者たちも、このあたりに差し掛かると結構必死で登っていた。鎖場というのはアメリカのトレイルでは見たことなかったので新鮮だった。ここの難易度は情報通りレベルは高くはないということで問題なく通過できた。ここでふと、「ああ、これはたしかに信仰の山だわ」と何故か腑に落ちた。古代の山伏たちが、この岩々を前にして祈りを捧げていたのには、なんの不思議もないと思えた。

山頂直下の岩場と、祭壇のような頂上

山頂直下になると、さらに鎖場や岩場が増えてきた。危険というほどではないが、足場を一歩一歩確認しながら進む必要があった。

最後の岩を登り切ったところで、視界が一気に開ける。
そこが瑞牆山の山頂だ。

実際に目の前に立つと、その圧は言葉を奪った。日本固有の独特のぎゅっと詰まったスケール感がそこに感じれた。

巨大な岩塔そのものが社殿であり、ご神体であり、
そこに立っているだけで自然に背筋が伸びる。

金峰山方面を振り返れば、五丈岩がちょこんと載ったあの稜線が見えた。
南側には南アルプス、反対側には八ヶ岳。そのさらに向こうに、うっすらと富士山のシルエット。

ぐるりと視界を一周させると、
まるで周囲の山たちが、ひとつの祭壇のまわりに並んでいるように見えた。

富士山は本当に美しい山

頂上から下を見渡すかぎり濃い緑の森林が広がっていたことに、日本の山が未経験な自分には新鮮だった。乾燥しているシエラやロッキーより日本の山は高温多湿なので、緑が豊かなのだと改めて実感した。日本の山らしい美しさをそこに感じることができた。


信仰の山を、いま自分はどう受け取るか

瑞牆山は「信仰の山」という文脈を背負っている。
だけど、現代の登山者である私は、そこで特定の宗教的な作法をするわけではない。

それでも、山を歩いているとき、
ふとした瞬間に「自然と頭を下げたくなる」タイミングがある。これはアメリカでバックパッキングしていた頃から感じていたことだった。国立公園のような無数の綺麗な場所は全てパワースポットなのだなと感じたものだった。

この瑞牆山でも、大ヤスリ岩の前で立ち尽くした時、山頂からの眺めに息を呑んだ時、テント場で静かな夕暮れを迎えた時に、やはり、この山域にも神聖な雰囲気を感じることができた。

そういう一つ一つの瞬間は、もしかしたら古代人達が山に向かって手を合わせた感覚と、それほど遠くないのだろうが、ここも間違いなくボルテックスであり、パワースポット的に古代人達もとらえていたのであろうなと直感で感じた。文明機器に鈍化されている私でさえ多少こういう感覚を感じれるのなら、山伏たちのような古代人のそれは相当強かったのではないのかと想像される。とにかくこの地にもとても聖域感を感じた。

少なくとも、

岩に触れる手の優しさ。
大声で騒がないこと。
ゴミを捨てないこと。

それら全部が、現代版の「参拝の作法」なのかもしれない。


テントをたたみ、日常へ戻る──ようやく何かが少し変わった

山頂から富士見平に戻り、キャンプへ戻った。
テントの前室でお湯を沸かし、コーヒーを飲みながら、この登山を静かに振り返る。

瑞牆山は人気の山というだけあって、平日のわりには登山者は多く賑わっていた。距離は短いとはいえ、3点確保が必要なロックスクランブリングが必要な場所が多くて、今年は5月まで登山ハイキングはしていなかったのもあり、結構な手ごたえだった。岩場の急登や鎖場が続く登山道はとても楽しかった。

テントをたたみ、ザックを背負い直して下山を開始するとき、今回のテント伯は簡単だったとはいえ、どこかで**「よし、日本でもまたテントを背負って歩いていこう」**と、静かにスイッチが入ったのを感じた。

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