武田八幡宮 

巡礼

韮崎市の神山町北宮地の集落西側、小高い丘のような場所に鎮座するのが武田八幡宮である。

かつては県社に列せられた由緒ある神社で、現在も本殿が国の重要文化財に指定されている。

初代甲斐武田氏の信義以来、甲斐武田氏代々に手厚く保護されてきた神社である。

甲府の武田神社のような賑わいはなく、静かな落ち着いた神社であるようだ。

私が訪れたこの日も平日とはいえ誰もいなかった。

創建は平安時代初期・弘仁13年(822年)と伝えられ、宇佐神宮または石清水八幡宮から勅命によって分霊を迎え、「武田」の地名にちなみ武田八幡宮と称したのが始まりとされている。

別の伝承では、同じく822年に空海の夢に八幡大菩薩が現れ、この地に祠を建てたことを起源とするとも言われている。

また、日本武尊の子・武田王がこの地に館を構えたことが「武田」の地名の由来であり、その館の北東にあった祠を館内に移して祀ったのが「武田武大神」の起こりとされている。

甲斐国には、石和八幡宮や窪八幡神社など、武田氏ゆかりの八幡社が各地に分布するが、その中でも武田八幡宮は特に武田一族との関わりが深い神社である。

清和天皇の頃にはすでに奉幣や社領寄進が行われ、のちに武田信義が氏神として社殿を整備したとされる。

戦国時代に入ると、甲斐守護・武田晴信(のちの信玄)が天文10年(1541〜42年)に本格的な再建を行い、これは国主となった晴信の最初の大事業であったと伝えられている。

その後も徳川家康や甲府徳川家、柳沢吉保ら歴代の国主から庇護を受け、修復や社領安堵が重ねられてきた。

ご祭神は、応神天皇にあたる誉田別命を中央に、足仲津彦命、息長足姫命、そして武田武大神の四柱で、国家安泰や万民の平穏を祈る神々として崇敬されてきた。

かつては8月14日の大祭に神輿が宮久保まで渡御し神楽が奉納されるほか、一年を通して五穀豊穣、疱瘡や麻疹の平癒、火災除け、雨乞いなど、多彩な神事が営まれていたと記録されている。

境内には、檜皮葺・三間社流造の本殿(国指定重要文化財)のほか、末社・若宮八幡神社本殿や石鳥居、二の鳥居、そして武田勝頼の妻・北条夫人が武運長久を祈って奉納した祈願文(掛軸仕立て)が残され、これらは山梨県の有形文化財にも指定されている。

北条氏政の妹であった夫人は、迫りくる織田徳川連合軍によるお家の危機に際し、願文を書いたそうだが、願文奉納も効することなく、奉納から14日後に勝頼は自らの手によって新府城に火をかけて、郡内の小山田氏をたより向かうが、その途中の田野(甲州市)で夫人、息子信勝とともに自刃した。

この場所もパワースポットとして知られているようだが、実際落ち着いていて、良い空気を感じれた。

武田氏から徳川期まで、甲斐の歴史そのものを映すような神社であり、静かな境内に立つだけで、戦国から近世にかけての時間の流れを感じられる場所だといえる。

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