214マイルの航跡を振り返って:シエラの風が私に遺したもの

JMT 2019

2019年の秋、46歳になった私は、それまで働いていた会社を辞めてヨセミテのトレイルヘッドに立っていた。

当時の私にとって、21日間に及ぶジョン・ミューア・トレイル(JMT)のスルーハイクは、単なるロングトレイルへの挑戦というよりも、仕事中心だったこれまでの人生を一度リセットするための、自分なりの「通過儀礼」にしたいという思いがあった。 それまで行きたいと願っていても実現できなかったJMTへの旅。しかし2019年、なぜか背中を押されるように無意識に準備を始めると、驚くほどすべてがスムーズに進み、気づけば私はトレイルヘッドに立っていたのだった。

JMTを終えてからしばらくの時が流れた今でも、あの21日間の記憶を振り返ると、シエラの冷涼な風の匂いとともに、心と身体が劇的に作り変えられていったあの感覚が、いつでも鮮明によみがえってくる。 その後も毎年シエラへバックパッキングに出かけるたびに、あのJMTでの強烈な体験を思い出さずにはいられなかった。

実を言うと、JMTの旅を終えて帰宅してから、何故かこうして記録をまとめてみる気にずっとなれなかった。 写真と日記だけは大事にしまってあったのだが、当時ミラーレスカメラで撮影した動画を保存していたノートPCが、その後に盗難に遭い、データを復元できなくなってしまい、クラウドにバックアップするのを忘れていたためだった。道中、夢中になって撮り溜めた動画がすべて消えてしまったことは大きなショックだったが、こうして手元に残った写真を見つめているだけでも、当時の記憶はいつでも私のなかに鮮明に蘇ってくる。

1. 肉体の限界の先で、羽化した「Hiker’s Legs」

「本当に、この体力で歩ききれるのだろうか?」

旅の序盤、そして中盤の補給地であるMTR(ミューア・トレイル・ランチ)を出発するとき、私の頭をよぎったのはそんな弱気だった。蓄積した疲労に加え、10日分+予備の食料を詰め込んだザックの重量は、47ポンド(約21kg)という衝撃的な重さに膨れ上がっていたからだ。途中、高山病や膝の痛みを理由にリタイアしていくハイカーたちを何人も見ていたため、「自分も無理をせず、必要であればいつでもリタイアしよう」と冷静に心に決めていた。それでも、なんとか最後まで歩みを進めることができた。

9月後半のシエラは予想通り寒く、夜になれば水ボトルがカチカチに凍りつくような夜が何度もあった。携行したシュラフは、シエラのショルダーシーズンにはギリギリの対応温度だった。 抜けない疲労のなか、MTR以降からフォレスター・パスまで連日続いた標高12,000フィート越えのパス(峠)越えは、本当にしんどいものだった。これまでの全人生のなかで間違いなく最大の体力的な試練であり、一歩一歩が文字通り「命を削る作業」のように感じられた。

しかし、肉体が限界を迎えたと感じたその先、キングス・キャニオンに到達したあたりから、不思議な精神の純化――一種の「ハイ」な状態が訪れた。周囲の景色は、必要以上に神々しく、やたらときれいに見える瞬間が何度もあった。「ここに来て本当に良かった」と心の底から震えるような瞬間でもあった。

そして最終日。10月4日に、最高峰マウント・ホイットニーへの最後の登りで大型ザックをデポし、サミットサック一つで歩き出したとき、自分の身体に起きた「奇跡」に驚愕することになった。背中から重荷が消えた瞬間、まるで空でも飛べるかのように足が軽かったが、今までこんな不思議な経験はしたことがなかった。 これまでに200マイル以上の山道を歩き通してきたことで、身体は全身疲労しているはずなのに、脚だけは完全にトレッキングに順応している状態――先輩ハイカーから聞いていた、いわゆる「Hiker’s legs(ハイカーズ・レッグス)」とは、このようにして作られるのだと実体験として理解できた。

自然を甘く見てはいけない。しかし、自然によって鍛え上げられる人間の肉体は、自分が思っているよりもずっとタフで、しなやかに順応できるものなのだと深く実感させられた。

2. トレイルという名の「心の鏡」

JMTを歩く中で、大自然の美しさにただ感動する一方で、山の中は恐ろしいほどに「自分自身」を映し出す鏡のようでもあると感じていた。

美しい原生林を歩きながら「歩く瞑想」のような幸福感に包まれる日もあれば、心の奥底に眠っていた人生の澱(おり)やコンプレックスが吹き出して、激しく落ち込む日もあった。トレイルの途中で出会ったPCTハイカーの数人にも、同じような内省的な雰囲気を感じることがあったが、つくづくスルーハイクとは「心の浄化の旅」なのだと実感できた。

俗世の肩書きを捨ててバックカントリーへ逃げ込んだつもりが、ザックの底には、自分のちっぽけな自尊心や不安がそのまま詰め込まれていたのだ。 けれど、後半の過酷な峠越えを繰り返すうちに、その葛藤すらも「この壮大な大冒険の一部なのだ」と、丸ごと受け入れられるようになっていった。ザックの食料が減り、ベアカニスターの中にすっきりと収まるようになったのと同じように、私の心の中の余計な荷物も、旅の終盤に向けて少しずつ削ぎ落とされていったのだろう。

3. 聖域の頂で迎えた、静かな孤独と安堵

最後のエスケープルートであるOnion Valley(オニオン・バレー)への分岐を通り過ぎたとき、腹の底から「もう引き返せない、歩き抜くしかない」という静かな覚悟が決まった。身体はかなり疲れていたが、「もうここまで来たんだから行くしかない」と決断したことで、逆に力が湧いてもっと歩けるようになった。覚悟を決めると人は見えない力に動かされるというのは本当のようだ。いわゆる「火事場のクソ力」と似たような原理なのかもしれない。

そして迎えた Day 21。ついに辿り着いた14,505フィートのホイットニー山頂。 出発前は「感動で泣いてしまうかもしれない」なんて想像していた。けれど、360度の大パノラマ、遥か眼下に広がるデスバレーの荒野を前にして、私の心は驚くほど静かだった。そこにあったのは、ただ「やり遂げたのだ」という巨大な安堵感と、満ち足りた充足感だけだった。

旅の途中では何人ものJMTハイカー達と出会い、語り、励まし合ってきた。やはりハイカーは素晴らしいなと感じられるような、人格者が多かった。私のペースは遅めに設定していたのでみんな先に行ってしまったが、ホイットニーの山頂にその日いたJMTハイカーは私一人だけだった。おそらく私は、このシーズン中におけるほとんど最後のJMTハイカーだったのだと推測できた。

他の登山客と肩を抱き合ってお祝いするような賑やかなフィナーレではなかったし、あの有名な木製のサインボードを持って写真を撮ることも叶わなかった。そこにあったのは、ただ圧倒的な「孤独」と、それを包み込むような「巨大な安堵感」だけだった。しかし、誰とも言葉を交わさず、たった一人で静かに噛みしめたあの至高の達成感こそ、自分がこの旅で本当に必要としていたものだったのかもしれない。

この年は1月からの積雪量が記録的に多かったシーズンだった。そのため、JMTの無雪期のはずの6〜7月に残っていた雪を回避するために伝統的な北進(NOBO)ルートを諦め、南進(SOBO)を選んだPCTハイカーたちが多かった。そのおかげで、9月後半という時期にもかかわらず、道中でたくさんのPCTハイカーたちに出会うことができたのは貴重な経験だった。 彼らの多くはソロで歩いており、2,650マイルという途方もない距離を数ヶ月かけて旅しているため、時には人との会話に飢えているように感じる瞬間もあったのが印象的だった。そんな素晴らしい経験に挑む彼らに対して、私は深い尊敬の念を抱き、同時に強い憧れを覚えた。彼らと話していると、どこか人生を達観しているような空気を感じることがあった。何か人生の大きな問題を浄化するために必死にトレイルに挑んでいるような雰囲気のハイカーもいたが、このような究極の長距離スルーハイクこそ、それを行うのに最も適した場所なのではないかと想像した。 私も時間が許すならば、いつか、歳をとりすぎないうちに彼らのようにPCTやATやCDTのようなスルーハイクをやってみたい、と思うようになった。

旅を終えて、今思うこと

ヨセミテからホイットニーまで、自分の足だけで繋いだ214マイルの航跡。

下山後、しばらくの間、私は “post-trail depression(燃え尽き症候群)” のような軽い落ち込みを経験した。JMT最後の補給地点だったMTRを出発して以来、約10日間ものあいだ建物や車といった文明の利器を一切見ない生活を送り、下山してそれらを目にしただけで、どこか奇妙な感覚に陥ったのは良い経験になったが、その後LAに帰り、普段の生活へと復帰したときには、街や周りの人々に強い違和感さえ覚えた。それだけあの21日間が、私の人生において強烈で、純粋な時間だったという証拠なのだと思う。JMTを歩いた程度でpost-trail depressionになるくらいなのだから、PCTハイカーたちがスルーハイクを終えた後にそれになるというのは有名な話だが、今ではその心境が十分すぎるほど理解できる。

JMTを歩ききったからといって、人生のすべての問題が魔法のように解決したわけではない。相変わらず不器用で、コンプレックスを抱えたままの自分が今もここにいる。 けれど、私の足には、あのシエラの険しい峠を越え続けた確かな記憶がずっと刻まれることになった。

「何があっても、一歩ずつ進めば、いつか必ずゴール地点に立てる」

身体に刻まれたそのシンプルな真実だけが、今も私の背中を、静かに、しかし力強く押し続けている。 この旅を終えて、私はまた世界のどこかで、次のスルーハイクをやってみたいと思うようになった。

このJMTハイクは、肉体的な挑戦であったと同時に、とても深い「内省の旅」となった。その経験は、これからの人生における一生の宝物になったと、心から感謝している。

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