甲斐の国 山梨県甲府市は武田ゆかりの場所だらけ
山梨県へ移住したので、甲府へ1日観光をしに行った。
甲府駅を降りて北口を出て、ゆるやかな参道を30分くらい歩いて行った。
向かった先は、武田神社。
戦国武将・武田信玄の居館があった、躑躅ヶ崎館跡だ。
かつて戦国期から甲斐の国の“中枢”だった場所に、足を運んでみた。


かつて戦国時代オタクだった自分
若いころ、戦国時代関連本や戦記もの小説を読み漁り、シュミレーションゲーム「信長の野望」にハマっていた頃があった。
当時は別に武田びいきだったわけではなく、どちらかというと越後の上杉謙信のほうが好きだった。
私の武田信玄のイメージは、中学生の頃に観てた「大河ドラマ武田信玄」と映画「影武者」から勝手に焼き付いているものが強かった。
武田神社という「館跡」を歩く
鳥居をくぐり、参道を進むと、空気が少しだけ変わったような気がした。
石段、砂利の音、正面に伸びる道。
よくある神社の景色のはずなのに、その奥に、500年近く前の「政務の場」が勝手に見えてくる。
ここが、かつては躑躅ヶ崎館と言われた場所の館跡なのだなと感慨にふける。






堀と土塁の静けさ
武田神社は、派手な城郭の石垣がそびえているわけではない。
けれど、堀と土塁などがあるので、ここがただの「神社」ではなく、かつては戦国武将の拠点そのものだったことを、静かに思い出させてくれる。
水をたたえた堀は、どこか眠っているような表情で、土塁の上の木々は、長い時間をここで過ごしてきた風格があるように見えた。
平日だったからか、観光地らしい賑やかさは控えめだった。
ふと立ち止まり、堀の水面を覗き込むと、そこにはただ、揺れる光と、静かな影があるだけ。
でもその背後には、人の生き死にが渦巻いていた時代が、たしかに存在していたのだと思うと、
胸の奥が少しだけざわめくような感覚があった。


山国の中心地としての居城
武田神社からも見渡せる、甲府の周りの綺麗な山々を見ていると、改めてここ甲斐国は山のど真ん中の国だったんだなとわかる。
「信長の野望」で武田氏を選んでプレイするとわかるが、周りは四方八方が全部強敵に囲まれており、海にも面していなかったので、領国経営と守備はさぞかし大変だったのではないのかと想像できる。
こんな山奥から隣の信濃や駿河あたりまで歩いて進軍して行くのはさぞかし大変だったのだろうかと、というより実際どうやって史実とされる資料に出てくる恰好と装備で歩いて行きながら、途中どうやってキャンプしていたのだろうかとか想像する。
境内正面の本殿などがあるエリアの後方へ歩いて行くと、参拝客が全く居なくなって、鬱蒼とした森になっていたが、この辺りは少し薄気味悪いような不思議なエネルギーを感じて一番印象的だった。

明治・大正期の政治的な思惑から建立され、今では正面あたりはすっかり商業神社のような雰囲気しか感じられないが、その表側とは裏腹に、境内の奥には、そうした時代背景とはまるで無関係な、もっと古い時代から続いているかのようなバイブレーションが、静寂とともに確かに漂っていた。
あたりには誰一人おらず、まるで自分だけが時の流れから切り離されて、過去へタイムスリップしてしまったかのような感覚になったが、不思議としか言いようがない畏怖の念が、静かに胸の内に湧き上がってきた。
歴史の峰に想いを馳せながら
黒澤明氏の「影武者」は大好きな映画で、信玄公の影武者から見た視点で、武田氏滅亡の入り口になった長篠の戦までのリアルな日々が描かれている。
映画に出てくる躑躅崎館での色々なシーンに想いを馳せながら、敷地内を歩くのは興味深かった。
この武田氏3代に渡っての居城だったこの場所は今は神社になり静かになったが、その静けさの奥に、武田家の続いた戦の気配と、政治の重さと、そして信玄公の迷いや決断が、かつては折り重なるように眠っていたのだろうか。
日露戦争後に神社に武神・軍神を祀ることが奨励され、軍神と評される武田信玄を祀った神社創建の機運が高まったとされている。
その後大正時代になって、信玄公に従三位の官位が贈られて、そこから信玄祭祀神社建設運動が更に高まって行き、大正8年に建立されたとある。
創建の経緯をたどってみると、そこには単に「郷土の名将を偲ぶ」という素朴な思いだけではなく、明治政府の思惑もにじんでいるように感じるが、日露戦争後の「軍神」を讃える空気の中で、武田信玄は新しい国家への忠誠心を高める象徴として持ち上げられ、その流れに山梨県人の郷土愛もうまく組み込まれていった──そんな印象も見受けられた。
この神社には、信玄公にあやかった「勝運」の他に「商売繁盛」「金運」「開運」「厄除け」もついでにご利益があるとして知られている。
現代の神社参拝では、多くの人がこのようなご利益を求めて、神社に願い事をしに行く。だが、その光景の中に私が見るのは、八百万の神を信仰する本来の古神道とはあまり関係のない、きわめて商業的な宗教の姿である。
そうした商業主義的な神社には、いわゆる「神」はいないのではないか──私はそう感じている。むしろ、そこに鎮まっているのは、その神社が建立された時代や土地に関わりのある霊たちなのではないか、と考えている。
だからこそ、私が神社を訪れるときは、まず境内に入る際にだけ、敬意を込めて挨拶の祈りをそっと送る。具体的なお願いごとの参拝は一切しない。商業神社と呼びたくなるような場所には、人々のエゴから生まれたさまざまな願いが渦巻き、そこには神さまどころか、低い波動の存在がいることさえあるように思う。そうしたものに不用意につながらないためにも、あえて「祈らない」という距離感を保つようにしている。


コメント